金鵄盃酒造

お酒は20歳を過ぎてから。飲酒運転は法律で禁止されています。お酒はおいしく適量を。
妊娠中や授乳期の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。

歴史と伝統

周囲を緑豊かな山々に囲まれた五泉市村松。
江戸時代、堀家三万石の城下町「村松藩」の元で
文政7年より酒造業を営み、
今日までその歴史を伝えてきました。

金鵄盃酒造のはじまり

霊峰白山をはじめとする山々や川に囲まれた
風光明媚な新潟県五泉市村松の地にて
1824年より創業しました。
金鵄盃の由来は1942年にこの地に置かれていた
陸軍歩兵第三十連隊の土橋大佐から頂いた
「金鵄盃」の名を銘柄にしたことが始まりです。
金鵄とは日本書紀の神武天皇による日本建国を導いたとする
金色の鵄(とび)で、縁起物とされています。

HISTORY沿革

  • 文政7年(1824年)

    茂野静六が村松仲町に茂野酒造場(仲町工場)として創業、
    村松藩史に文政年間頃に記載。
    文政7年(1824年)に蔵の井戸かいの記録有り。

  • 慶応3年(1867年)

    村松領内酒株一覧表に三角屋(みすみや)静六の名で記載あり。三角屋とは茂野家の屋号。

  • 明治2年(1869年)

    静六没。茂野久次郎が2代目となる。

  • 明治28年(1895年)

    久次郎没。茂野留蔵が3代目となる。

  • 明治40年(1907年)

    茂野恭平氏と共同出資をし、現在の蔵の場所にあった廃業予定だった酒蔵水戸鶴を買収。上町工場とした。杜氏は寺泊野積の高津栄太郎。
    当初は、薬屋業と兼業し、販売はそこで行っていた。

  • 大正15年(1926年)

    薬屋を廃業し、酒造業に一本化。

  • 昭和5年頃(1930年)

    杜氏交代 青木保一が杜氏となる。

  • 昭和6年(1931年)

    杜氏交代 深滝長松が杜氏となる。

  • 昭和9年(1934年)

    茂野俊一が社長に就任する。

  • 昭和21年(1946年)

    村松大火により、蔵焼失(半焼)。
    部分増築。

  • 昭和23年(1948年)

    清酒「金鵄盃」発売。

  • 昭和27年10月(1952年)

    社名変更 金鵄盃酒造株式会社設立。

  • 昭和36年(1961年)

    杜氏交代 高津栄が杜氏となる。

  • 昭和43年(1968年)

    金鵄盃商事株式会社 設立。
    (営業・販売部門を独立分社化)

  • 昭和54年(1979年)

    茂野紘一が社長に就任、
    茂野俊一が会長に就任する。

  • 昭和58年(1983年)

    清酒「越後杜氏」発売。

  • 平成2年(1990年)

    「越後酋樂会」(しゅがくかい)発足。
     
    越後酋樂会とは
    農学博士・廣井忠夫氏を顧問に、同業10社共同による研究機関。
    新酵母の開発、新酒の研究など、日本酒の向上に励む。(平成16年 解散)

  • 平成11年(1999年)

    杜氏交代 阿部昇が杜氏となる。

  • 平成14年10月(2002年)

    銘酒「帛乙女」発売。

  • 平成17年10月(2005年)

    商事会社 金鵄盃酒造株式会社と統合。 (製造・販売を一本化)

  • 平成18年1月(2006年)

    市町合併のため住所変更し、五泉市となる。

  • 平成26年10月(2014年)

    茂野知行が社長(現社長)に就任、
    茂野紘一が会長に就任する。

↑