金鵄盃酒造のはじまり
霊峰白山をはじめとする山々や川に囲まれた
風光明媚な新潟県五泉市村松の地にて
1824年より創業しました。
金鵄盃の由来は1942年にこの地に置かれていた
陸軍歩兵第三十連隊の土橋大佐から頂いた
「金鵄盃」の名を銘柄にしたことが始まりです。
金鵄とは日本書紀の神武天皇による日本建国を導いたとする
金色の鵄(とび)で、縁起物とされています。
HISTORY沿革
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文政7年(1824年)
茂野静六が村松仲町に茂野酒造場(仲町工場)として創業、
村松藩史に文政年間頃に記載。
文政7年(1824年)に蔵の井戸かいの記録有り。 -
慶応3年(1867年)
村松領内酒株一覧表に三角屋(みすみや)静六の名で記載あり。三角屋とは茂野家の屋号。
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明治2年(1869年)
静六没。茂野久次郎が2代目となる。
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明治28年(1895年)
久次郎没。茂野留蔵が3代目となる。
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明治40年(1907年)
茂野恭平氏と共同出資をし、現在の蔵の場所にあった廃業予定だった酒蔵水戸鶴を買収。上町工場とした。杜氏は寺泊野積の高津栄太郎。
当初は、薬屋業と兼業し、販売はそこで行っていた。 -
大正15年(1926年)
薬屋を廃業し、酒造業に一本化。
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昭和5年頃(1930年)
杜氏交代 青木保一が杜氏となる。
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昭和6年(1931年)
杜氏交代 深滝長松が杜氏となる。
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昭和9年(1934年)
茂野俊一が社長に就任する。
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昭和21年(1946年)
村松大火により、蔵焼失(半焼)。
部分増築。 -
昭和23年(1948年)
清酒「金鵄盃」発売。
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昭和27年10月(1952年)
社名変更 金鵄盃酒造株式会社設立。
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昭和36年(1961年)
杜氏交代 高津栄が杜氏となる。
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昭和43年(1968年)
金鵄盃商事株式会社 設立。
(営業・販売部門を独立分社化) -
昭和54年(1979年)
茂野紘一が社長に就任、
茂野俊一が会長に就任する。 -
昭和58年(1983年)
清酒「越後杜氏」発売。
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平成2年(1990年)
「越後酋樂会」(しゅがくかい)発足。
越後酋樂会とは
農学博士・廣井忠夫氏を顧問に、同業10社共同による研究機関。
新酵母の開発、新酒の研究など、日本酒の向上に励む。(平成16年 解散) -
平成11年(1999年)
杜氏交代 阿部昇が杜氏となる。
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平成14年10月(2002年)
銘酒「帛乙女」発売。
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平成17年10月(2005年)
商事会社 金鵄盃酒造株式会社と統合。 (製造・販売を一本化)
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平成18年1月(2006年)
市町合併のため住所変更し、五泉市となる。
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平成26年10月(2014年)
茂野知行が社長(現社長)に就任、
茂野紘一が会長に就任する。